Amazonビデオで毎週水曜日に最新話が配信されている『福家堂本舗―KYOTO LOVE STORY―』、既に9話までが配信されているんですが、中々観る時間が確保できず、「年末年始の休みで一気にいったる!!!!」と決意していました。
ところが今朝、目を覚ましてみたら体が熱い。なんだか上手く声が出ない。もしやと思い熱を測ると39℃……
よっしゃ!!!!!!休もう!!!!!!
というわけで1話から9話まで一気に観ようとしたところ、3話を観終えた時点ではっきりとある感情が産まれたので、感想を交えつつその感情を自分の中で受け入れるために書きました。
公式
Twitter、webニュース等で各話ごとのあらすじがかなり詳細に出ているので、ネタバレになるかどうかは全く気にせずに書きました。ご注意ください。
昼過ぎに1話の再生を始めてから休憩無しで3話まで観て、今とても、こう、胸の奥があつーーーーーーくなってるんですよ。
元々身体は丈夫な方で、病院で点滴も打ってもらってほぼ、平熱近くまで熱は下がってたはずだし、実際今も37℃前後で落ち着いてるんですよ。
でも、なんか、こう胸の奥が、そこだけがあつーーーーーーくなってるんですよ。
これなんなんすかね????
思えば、1話のオープニングであられちゃん(あかりちゃん)と健ちゃん(市原さん)が背中合わせで仲良さそうに話してる辺りからちょっとずつ胸の奥がじわじわと熱くなりだしたんです。
で、夢オチとは言えベッドでいちゃこらしてるシーンがありまして。
今までは、例えば百瀬とかわすぼくとかちかえもんとかでそういう類いのシーンがあってもキャーキャー言うことはあってもそういう現象は起きなかったし、むしろそういうところを観せてくれて、撮ってくれてありがとうと思ってました。
でも今回は違っていて、胸に来すぎるし、ほんとにね、あられちゃんと健ちゃんが声を、目を交わすだけで……
あられ“健ちゃんは……なんでそうなん?”第2話より
いやほんとにね!なんで健ちゃんとだとそうなん!?!?!?
2話まで観終えて、このまま観るのはしんどいから、1つ仮説を立てようと。この感情が何なのか名前をつけてみようと。
そこで思い出したのが、福家堂関連のインタビューで度々あかりちゃんが口にしていた「役作りの必要が無いくらいあられは自分にそっくり」という言葉。
なるほど、余りにもあかりちゃんに近いからいつもの親心が出ちゃってるんだ、あられちゃんの将来を親や家の都合で決められたり、健ちゃんがもう一歩来てくれなかったりでやきもきしてるんだと。
つまりこの感情は、親心とかそれに類するものだと。
とりあえずそれで納得して、再開しました。
3話は、あられちゃんと健ちゃんの初デート。
いつもと雰囲気の違う格好で待ち合わせ場所に立つあられちゃん(これめちゃくちゃ可愛いから絶対に観てください)を少し遠目で見てから近づいた健ちゃんの一言がこれっすよ。
健司“ちょっと見とれててなぁ。結構、いけてるやん。遠目に見たらの話やで!”第3話より
その後連れていくのが、若い人にも和菓子を食べてもらおうとあられちゃんの母(=福家堂の最高責任者)が考えて、福家堂が和菓子をおろすことにしたカフェで、それまであられちゃんが母親に対して持ってたイメージを変えさせる気遣い。しかも一押しで出してるのは、健ちゃんがパリで修行中に考え、誰よりも先にあられちゃんに食べさせた和菓子、「ARALE」
いつもだったら、健ちゃんにも惚れるんですよ、この流れ。でも、胸の奥があつーーーーーーくなるだけじゃなくて、なんかこう、健ちゃんに対して良くない感じがあるんですよ。
そこに来てこのやり取り。
健司“俺は跳ねっ返りは好きやけど意地っ張りは嫌いや。ええ加減素直になれ。”
あられ“別に意地なんか……”
健司“それやったら何やねん”第3話より
意地張るのやめましょう。よーし認めましょう。初めからなんとなく、いや、割りとしっかり分かってたけど言葉にしてきっちりと認めましょう、受け入れましょう。
これは完全に「嫉妬」です。
断じて「親心」なんていう清らかで愛に溢れた感情ではないです。
だってあまりにも二人の仲がリアル過ぎるんですよ。あられちゃんが健ちゃんを、健ちゃんがあられちゃんを思う姿と、あかりちゃんが市原さんを、市原さんがあかりちゃんを思う姿と、どちらがリアルなのか分からなくなってしまうんですよ。
いや、正確にはそうは思ってないです。
その境目がぼんやりとしてしまって、虚実が入り交じって嫉妬してしまうほど、二人が本当にそこにいる気がして。
今までは、映画やドラマでどんなにいちゃこらされようが、はっきりキスシーンがあろうが、そこに「演技」っていうものを感じ取れていたんだと思います。
あかりちゃんのファンだから、インタビューを始めとする「素の部分」を垣間見ることが嬉しかったし、もしかしたら、とてつもなく失礼なことなのかもしれないけど、無意識にそれを演技の中にも探していたのかもしれません。これは「演技」、これは「素」に近いなって。
でも今、あられちゃんとして生きるあかりちゃんを観て、というよりも、あられちゃんを観て、彼女を好きになって、その彼女に不自由を強いる周囲に苛立ち、彼女に好かれている健ちゃんに嫉妬しています。
例えばこれから先、あかりちゃんに所謂熱愛スクープがあったとして、(つい最近あったけども、記念に1冊買ったけども)これだけ嫉妬するかと言えば、まず絶対しません。
でも、これからは、あかりちゃんが誰かになって、誰かになった人を好きになったら、身悶えるほどに嫉妬すると確信しています。
だってめちゃくちゃ可愛いもんなぁ!!!!