あれこれ

早見あかりさんのあれこれです。

いんちきじゃん!!

(色々な感情が心一杯にこみ上げているので、それの十分の一も書けるかは分からない。でも、あまりに嬉しいから、それに、感謝をちゃんと伝えたいから、この自己満足を我慢出来そうもないので書く。)

 

あかりちゃんを追いかけはじめてから暫くの間、僕の生きている望みは、どれだけあかりちゃんを見られるか、でした。

 

その容貌があまりにも理想的過ぎたので、その全てが理想的であることに気づくのが遅れた気もしますが、それに気づいてからは「見る」以外の望みができました。

 

例えば、「聞く」望みです。

 

軽やかで弾むような言葉が楽しいです。時々、音を立てて空回りするような強い言葉を使ってしまうのは、すこし心配になるけど、信じられます。ここ最近は、体温のある言葉が多くて本当に嬉しいです。

 

「見る」から始まって、「聞く」を経て、少しずつ「見守る」、「見届ける」に変わってきた気もします。

 

なんだか強がっていたこともありますが、あの約束を忘れたことなどありません。

 

他にも目標があることは知っていたから、第一義ではないからと、なんだか強がっていたこともありますが、忘れたことなどありません。

 

忘れられるなら忘れた方がいい。毎年、同じような時期に同じようなことで同じように怒りを覚えるなら、忘れた方がいい。

 

「本物のファン」ってなんですか?忘れられるなら忘れた方がいい。

 

泥々が溜まっていた時期もありました。

 

あかりちゃんと彼女たちの再会(再開の方が良い気もする。“お久しぶりのはじめまして”赤の人リスペクト!!)の効能はエライもので、これまで溜まった、最近は奥底で固まっていた黒い泥々を、ほんとうにきれいに流してくれました。

 

ももクロ×早見あかり「SOPHISTANCE」アンバサダーで9年越しの共演!百田「当時の気持ちのまま」(コメントあり) - 音楽ナタリー

 

記事を読んで面白くなったからこの文章を書き出したのに、それを書くのを忘れてました。

ももクロ百田夏菜子も「SOPHISTANCE」の虜に。半信半疑で使用したところ、肌の悩みがなくなり、メンバーや2011年4月のグループ脱退後も交友を続けている早見にも紹介したという。今では5人共商品の虜になり、「もっと広めて肌で悩む多くの人に届けたい」という思いから志願する形でアンバサダーに就任した。

 

……いんちきじゃん!!

 

でも、だから最高。

 

ありがとうございます。本当のところが聞ける日が来る気もするので、待ってます。

 

楽しみだな。

 

 

 

ニュースタイトル6度見したよ。

あかりちゃん。

 

僕はまだ、結婚ということはよく分からずに、一人で遊んだり、中学生の頃からの悪友とふざけあったりしています。
いつ頃結婚をするのか、全く検討もつきません。

でも、結婚をしたら、もしかしてこんなにあかりちゃんについて考える時間も無くなるかもしれないから、ちょっと頑張って、長めのやつを書いてみます。

 

あかりちゃんは、朗らかで気取らない人だから(僕はそう感じます)時折、あなたが目の届く範囲に居てくれることが奇跡みたいなことだということを忘れます。
ちょっと音沙汰ないだけで恋しくなります。
そして、早く又、あなたの仕事ぶりを見たくなります。
仕事ぶりをと書きましたが、これは適当ではないかもしれません。
とにかく、あかりちゃんの今が気になるのです。
そういう時は、僕は自分を強めに責めます。(明らかに気持ち悪いので)

 

あかりちゃんを初めて見かけてから何年になるでしょうか。(あかりちゃんを除いても、同年代の友人が10組近く結婚するほど時間が経ったという事実があります)

こんなにも言葉を尽くすのはたった1つの理由のためです。そして、その理由とは、僕にとってあかりちゃんが特別であるということです。

一目見たときから特別な存在になりました。言うまでもなく、今でも特別です。

 

僕はあかりちゃんの親友のようにたった一言であなたを祝福することはできないし、過去の様々な逸話でもって言祝ぐこともできません。
なので、だらだらと書いてしまっています。
そして、この文章があかりちゃんに届くとも届かないとも(まず間違いなく届きませんが)あかりちゃんの人生がもっと素敵になってくれと祈りつつ書いています。

 

前に書いた通り、僕はあかりちゃんを特別と思っています。
世間一般には、こういう趣味や趣向を非生産的だとか社会不適合だとかと呼びます。
そうした世間一般は、「特別」のサイクルをとても早く回しますし、彼らも共に回っています。(いわゆる推しが他にもたくさんいるのは事実ですが)
それを回れない点において、僕はとても幸せな思いをできていると思います。

 

とにかく、僕が幸せか幸せでないかということは全然、あかりちゃん次第で決まるのです。
したがって、僕からすればこれからもちょこちょこ報告が欲しいです。
しかしほんの少しでもあかりちゃんの幸せを脅かすことがあっては、あかりちゃんにも、新しい家族にも、おこめちゃんにも申し訳ないです。
だから、あかりちゃんはこれからも自由に自分で色々なことを決めて欲しいです。
万一何かを人に決められることがあっても、それが良い結果になると信じていて欲しいです。

 

僕のあかりちゃんへの思いは、世間において無駄と言われるものです。
その上、それで満足してしまっています。
ですから、いつまで経ってもあかりちゃんを見る度ににやけてしまいます。
僕はこれからもあかりちゃん自身の口から軽やかな言葉を聞きたいと思っています。
繰り返して書きますが、理由は一つしかありません。
僕にとってあかりちゃんは特別です。

 

鳴門秘帖とインベスターZの録画が全部で6話分溜まってしまいました。少し焦っています。
僕が全ての録画を消費するまでに、きっとまたわくわくするような話が聞けるような気がしています。
もしよければ、最近のおこめちゃんも見たいです。
「もしよければ」です。難しければ大丈夫です。
でも、見られたら嬉しいです。

これでやめます。結婚おめでとう。

さんがつじゅうななにち

早見あかりさん、お誕生日おめでとうございます。

 

 

 

 

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昨年12月に公開されたflumpool『とうとい』のMVのあかりちゃんがべらぼうに良い。

生きることを、あるいはそれを可能にする存在を「とうとい」と表現するこの曲のMVに、私にとって「とうとい」存在であるあかりちゃんが出ているというだけでも素晴らしいのだけれど、漫画家自身と彼女の描く漫画そのものが歌詞を通じて混ざりあっていく様が、どうにも心地良い。

 

 

MV内のあかりちゃんは時に鬼気迫る様子で原稿に臨んでいるが、本人は現在、自分の言葉を能動的に発する場を持っていない。※1

最後に定期的な発信の場を設けていたのは2015年4月から2016年3月まで更新されていたA-Studioアシスタント時代の番組内ブログAkari Studio | TBSブログまで遡る。

 

私はあかりちゃんの書く文章が好きだ。軽やかで、でも確かな実感があって、リズミカルで、何よりも読み手に対して誠実だと思う。「(誠実であるために)目を見て話しなさい」と言われることがあるが、あかりちゃんの文章は、読者の目を見ているように感じられる。だから境目を越えたリアルを感じさせられるのだろう。

らすと。 | Akari Studio | TBSブログ(A-Studioへの想いを綴ったブログ)

 

 

話をMVに戻したい。

作中では4つの話が描かれていることが分かる。#1は「君に何から伝えるべきだろう?」だ。

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学生のもどかしい関係を描く彼女は、時折手を止めながらも、二人の関係を最後まで見守り描ききる。その時に流れてくる歌詞は、

同じ笑顔で返すことも

ろくにできない僕だけど

伝えたい言葉がある

笑ってくれてありがとう

明確なアクションは必要ない、誠実な言葉を届けるべきだと歌っている。

 

しかし一転、

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ネガティブな感情が広がりを見せ始めるのが#2「ただ静かな鼓動を聞いて」だ。

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漫画に登場する女性は、パートナーへの「好き」という感情を少しずつ積み重ねていく。並行して漫画家も自身がこれまで積み重ねてきた何かの存在に気づき始め、思案する姿が増える。結果、虚構と現実どちらの世界でも感情が破裂してしまう。

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そんな彼女(たち)を救うように、歌詞とタイトルはリンクし、#3「君は君を好きでいてよ」と続く。そして、そう語りかけられた(あるいは自ら言い聞かせた)彼女の表情のなんたる美しさか!

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 そして改めて、#1への回答をするのだ。#4「生まれてきてくれてありがとう」と。そう考える理由は単純だ。

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一仕事を終え、伸びをする彼女もまた「とうとい」
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あかりちゃんが自ら率先して自己表現の場を設ける可能性は、今後も低いだろう。 

 

それでも、彼女の「とうとさ」は揺るぎないし、それに対する私からの「生まれてきてくれてありがとう」も決して揺るがない。

 

改めて。

誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。

 

※1 早見あかり「なりすまし」のInstagram等にご注意下さい! by スタダ

 

8回目

あと2ヶ月ほどで社会人として働き始めて2年が経つ。

入れ替わりの多い職種なので、去年も何人かの同僚を見送ったが、今年はそれとは少し事情が違う。

新人の私を1年間サポートして下さった方が3月末で県内の別の職場へと異動することが分かったからだ。

この恩は忘れないだろうし、これからも直接的ではないにしても付き合いは続いていくだろう。

 

ここでひとつ、この時期になると毎年考えているあることに関して疑問が沸き上がった。

「脱退日=ラストライブの日を覚えているのは分かるけど、脱退報告日までしっかりきっちり覚えているのはなぜだろう?」

 

前述の通り、受けた恩を忘れることは決してないが、果たして5年後に、彼が職場を去った日を、というか、「職場を去ることが分かった日」を正確に覚えていられるだろうか?思い出せるだろうか?

 

この、思い出せる/思い出せないの差は、思い入れの差で決まるわけではないだろう。

恐らく、別れまでの期間をどう過ごさなければいけないのかで決まるのだと思う。

 

 

 

お世話になったとはいえ、あくまで彼と私との繋がりは職務上の繋がりだった。職務外のことで相談に乗っていただいたこともあるし、無駄話も数え切れないほどした。

 

も、あくまで職務上の繋がりだ。

感傷に浸るよりも先に引き継ぎを正確に行わなければならないし、別れを惜しむよりも先に次年度の計画をまとめなければならない。

職務上の繋がりだからこそ、綺麗にお別れする必要がある。

 

だからおそらく彼との「良き思い出」というのは、ざっくりと去年末あたりまでで保存完了ということになるのだろう。

 

 

 

しかし、(一方的ではあるけれど)精神的な繋がりとの別れは大きく違っている。

別れまでの時間が充分にある場合もあるし、あるいは慌ただしく、気づいたらもう別れの日が来ていたということもある。

 

だから「別れを告げられた側」は、ゆっくりとその日までに心を落ち着けても良いし、ぐちゃぐちゃのままでいたって良い。

1年後に再び訪れる「別れることが分かった日」に、また、改めて心を乱しても良いし、5年後までずっとぐちゃぐちゃでいたって良い。

「別れはじめの日」と、「別れおわりの日」さえ忘れなければ、絶対にちゃんとお別れできる日が来るからだ。

 

 

 

今の私が1月16日をおだやかに(でも少しだけざわつきながら)過ごせるのは、別れまでのカウントダウンが始まった日を何度かやり直せたからに違いない。

でも、こんな文章を職場でこそこそ書いてしまう辺り、まだまだ「ちゃんと」お別れできてないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新年度あるある「荷物多くなりがち♪」

※あかりちゃん要素ほぼ無いです


人が何かを「背負わされている」っていうのが苦手だと最近気づきました。
あかりちゃんが「物語」を背負わされていた頃から、そういった光景を目にする度にしんどくて、心苦しくて、つらいと感じていた気がします。

最近だと、好きな女性アイドルが「逆襲」だとか「反骨」だとかをテーマにした楽曲を歌っているのを観て、同じような気持ちになりました。

じゃあ、「天真爛漫」「きらきらした笑顔」「可愛らしさ」がお好きなんですね?と言われると……いや、好きですけど……
何というか、求めてるものが真逆(ほんとに逆かは分からんけど)なだけで、「背負わされている」という視点で考えたら同じようなことをしている気がして。

同性グループの中で、「ママ(パパ)」的な役割を自然な流れで与えられる(自分から担うこともあるのかな?)人がいるじゃないですか?他にも「イケメン」とかも近い感覚かなぁ。
あかりちゃんもそうだったし、今気になっているアイドルもグループ内では「ママ」的な位置にいまして。

自分の好きな人が、他の人からも好かれているのはとても嬉しいし、そういった関係から見えてくる部分も含めて魅力に感じているし、でも、その要素だけで好きになったわけでは無い。むしろ他がメインでこの要素はスパイスというか付け合わせというか、とにかく好きという気持ちの根幹にのなるものでは無い。
だから、そういう「キャラ」「立ち位置」によってその子の自由が制限されるようなのは、許せないというか悔しいというか、上手くこの感覚を言葉にできないんですけど。

なんか、この流れだと「逆襲」「反骨」≒「男性性」→女性が持つべきではないもの、女性の魅力には繋がらないものみたいな論理の展開に見えてしまう気がして怖いんですけど、そういったつもりは一切無いです。

もう少し大きな視点に戻して考えたいんですが、この「背負わされている」状況を作るのは誰かって考えたら、多分私(達って書いても良いですかね?)でしょうと。言い換えれば私(達)が「背負わせている」んじゃないかと。
それでなければ演出する側の人がそういったイメージを「背負わせて」お届けする感じですかね?
前述の「逆襲」「反骨」は正にお届けされたときに「ああ、またこういう……」みたいに思いました。「これが好きな人がいて、これに救われる人がいて、しかも決して割合としては少なくなくて」っていうのも分かっているけれど、釈然としない。

ここまでだらだら書いててふと思いついたんですけど、「背負わされている」ことその物が嫌なんじゃなくて、それによって「消費」「消耗」されることが嫌なのかもしれない。

制限された中でも、その子が楽しそうに出来てるならこっちも楽しく見られるし。

これ以上考えてもぐるぐる回るばっかりで進展しそうにないので、ふとした思い付きを精査せずに結論っぽくまとめちゃいましたが、皆さんはこんなこと考えたことありませんか?

もし良かったらご意見聞かせてください。

あかりちゃんおめでとう!

今日も1日を楽しく過ごせました。
これまでの楽しい1日を作ってくれたのはあかりちゃんでした。

辛い1日もありました。
その1日を乗り越えさせてくれたのもあかりちゃんでした。

私はあかりちゃんより少しだけ早く産まれたけれど、明日からも声が届くギリギリ後ろの方から遅れてついていくのだろうと思います。

見る人を喜ばせたり、笑わせたりするあなたも、哀しませたり、怒らせたりするあなたも、その全てが私の心を生かしてくれました。

あかりちゃんにはあかりちゃんの人生があります。
それは本来、私の人生に関係のあることでしょうか?いや、無いはずです。

だけど、それでいいです。
無関係のまま、交わることの無いまま、あなたがあなたの人生を歩み続けてくれるだけで、私の未来は明るくて楽しくてハッピーになるって決まっているから。


おめでとうございます。ありがとうございます。


P.S.カープの連覇、日本一奪還については同じファンとして同じ目線で応援しましょう。

なんかね、こう、胸の奥が熱ーくなるというか……

Amazonビデオで毎週水曜日に最新話が配信されている『福家堂本舗―KYOTO LOVE STORY―』、既に9話までが配信されているんですが、中々観る時間が確保できず、「年末年始の休みで一気にいったる!!!!」と決意していました。

ところが今朝、目を覚ましてみたら体が熱い。なんだか上手く声が出ない。もしやと思い熱を測ると39℃……

よっしゃ!!!!!!休もう!!!!!!

というわけで1話から9話まで一気に観ようとしたところ、3話を観終えた時点ではっきりとある感情が産まれたので、感想を交えつつその感情を自分の中で受け入れるために書きました。

公式Twitter、webニュース等で各話ごとのあらすじがかなり詳細に出ているので、ネタバレになるかどうかは全く気にせずに書きました。ご注意ください。












昼過ぎに1話の再生を始めてから休憩無しで3話まで観て、今とても、こう、胸の奥があつーーーーーーくなってるんですよ。

元々身体は丈夫な方で、病院で点滴も打ってもらってほぼ、平熱近くまで熱は下がってたはずだし、実際今も37℃前後で落ち着いてるんですよ。

でも、なんか、こう胸の奥が、そこだけがあつーーーーーーくなってるんですよ。
これなんなんすかね????


思えば、1話のオープニングであられちゃん(あかりちゃん)と健ちゃん(市原さん)が背中合わせで仲良さそうに話してる辺りからちょっとずつ胸の奥がじわじわと熱くなりだしたんです。

で、夢オチとは言えベッドでいちゃこらしてるシーンがありまして。
今までは、例えば百瀬とかわすぼくとかちかえもんとかでそういう類いのシーンがあってもキャーキャー言うことはあってもそういう現象は起きなかったし、むしろそういうところを観せてくれて、撮ってくれてありがとうと思ってました。
でも今回は違っていて、胸に来すぎるし、ほんとにね、あられちゃんと健ちゃんが声を、目を交わすだけで……
あられ“健ちゃんは……なんでそうなん?”第2話より

いやほんとにね!なんで健ちゃんとだとそうなん!?!?!?

2話まで観終えて、このまま観るのはしんどいから、1つ仮説を立てようと。この感情が何なのか名前をつけてみようと。

そこで思い出したのが、福家堂関連のインタビューで度々あかりちゃんが口にしていた「役作りの必要が無いくらいあられは自分にそっくり」という言葉。

なるほど、余りにもあかりちゃんに近いからいつもの親心が出ちゃってるんだ、あられちゃんの将来を親や家の都合で決められたり、健ちゃんがもう一歩来てくれなかったりでやきもきしてるんだと。
つまりこの感情は、親心とかそれに類するものだと。

とりあえずそれで納得して、再開しました。

3話は、あられちゃんと健ちゃんの初デート。

いつもと雰囲気の違う格好で待ち合わせ場所に立つあられちゃん(これめちゃくちゃ可愛いから絶対に観てください)を少し遠目で見てから近づいた健ちゃんの一言がこれっすよ。

健司“ちょっと見とれててなぁ。結構、いけてるやん。遠目に見たらの話やで!”第3話より
その後連れていくのが、若い人にも和菓子を食べてもらおうとあられちゃんの母(=福家堂の最高責任者)が考えて、福家堂が和菓子をおろすことにしたカフェで、それまであられちゃんが母親に対して持ってたイメージを変えさせる気遣い。しかも一押しで出してるのは、健ちゃんがパリで修行中に考え、誰よりも先にあられちゃんに食べさせた和菓子、「ARALE」

いつもだったら、健ちゃんにも惚れるんですよ、この流れ。でも、胸の奥があつーーーーーーくなるだけじゃなくて、なんかこう、健ちゃんに対して良くない感じがあるんですよ。

そこに来てこのやり取り。
健司“俺は跳ねっ返りは好きやけど意地っ張りは嫌いや。ええ加減素直になれ。”
あられ“別に意地なんか……”
健司“それやったら何やねん”第3話より  


意地張るのやめましょう。よーし認めましょう。初めからなんとなく、いや、割りとしっかり分かってたけど言葉にしてきっちりと認めましょう、受け入れましょう。

これは完全に「嫉妬」です。

断じて「親心」なんていう清らかで愛に溢れた感情ではないです。

だってあまりにも二人の仲がリアル過ぎるんですよ。あられちゃんが健ちゃんを、健ちゃんがあられちゃんを思う姿と、あかりちゃんが市原さんを、市原さんがあかりちゃんを思う姿と、どちらがリアルなのか分からなくなってしまうんですよ。

いや、正確にはそうは思ってないです。

その境目がぼんやりとしてしまって、虚実が入り交じって嫉妬してしまうほど、二人が本当にそこにいる気がして。

今までは、映画やドラマでどんなにいちゃこらされようが、はっきりキスシーンがあろうが、そこに「演技」っていうものを感じ取れていたんだと思います。

あかりちゃんのファンだから、インタビューを始めとする「素の部分」を垣間見ることが嬉しかったし、もしかしたら、とてつもなく失礼なことなのかもしれないけど、無意識にそれを演技の中にも探していたのかもしれません。これは「演技」、これは「素」に近いなって。

でも今、あられちゃんとして生きるあかりちゃんを観て、というよりも、あられちゃんを観て、彼女を好きになって、その彼女に不自由を強いる周囲に苛立ち、彼女に好かれている健ちゃんに嫉妬しています。

例えばこれから先、あかりちゃんに所謂熱愛スクープがあったとして、(つい最近あったけども、記念に1冊買ったけども)これだけ嫉妬するかと言えば、まず絶対しません。

でも、これからは、あかりちゃんが誰かになって、誰かになった人を好きになったら、身悶えるほどに嫉妬すると確信しています。


だってめちゃくちゃ可愛いもんなぁ!!!!