あれこれ

早見あかりさんのあれこれです。

8回目

あと2ヶ月ほどで社会人として働き始めて2年が経つ。

入れ替わりの多い職種なので、去年も何人かの同僚を見送ったが、今年はそれとは少し事情が違う。

新人の私を1年間サポートして下さった方が3月末で県内の別の職場へと異動することが分かったからだ。

この恩は忘れないだろうし、これからも直接的ではないにしても付き合いは続いていくだろう。

 

ここでひとつ、この時期になると毎年考えているあることに関して疑問が沸き上がった。

「脱退日=ラストライブの日を覚えているのは分かるけど、脱退報告日までしっかりきっちり覚えているのはなぜだろう?」

 

前述の通り、受けた恩を忘れることは決してないが、果たして5年後に、彼が職場を去った日を、というか、「職場を去ることが分かった日」を正確に覚えていられるだろうか?思い出せるだろうか?

 

この、思い出せる/思い出せないの差は、思い入れの差で決まるわけではないだろう。

恐らく、別れまでの期間をどう過ごさなければいけないのかで決まるのだと思う。

 

 

 

お世話になったとはいえ、あくまで彼と私との繋がりは職務上の繋がりだった。職務外のことで相談に乗っていただいたこともあるし、無駄話も数え切れないほどした。

 

も、あくまで職務上の繋がりだ。

感傷に浸るよりも先に引き継ぎを正確に行わなければならないし、別れを惜しむよりも先に次年度の計画をまとめなければならない。

職務上の繋がりだからこそ、綺麗にお別れする必要がある。

 

だからおそらく彼との「良き思い出」というのは、ざっくりと去年末あたりまでで保存完了ということになるのだろう。

 

 

 

しかし、(一方的ではあるけれど)精神的な繋がりとの別れは大きく違っている。

別れまでの時間が充分にある場合もあるし、あるいは慌ただしく、気づいたらもう別れの日が来ていたということもある。

 

だから「別れを告げられた側」は、ゆっくりとその日までに心を落ち着けても良いし、ぐちゃぐちゃのままでいたって良い。

1年後に再び訪れる「別れることが分かった日」に、また、改めて心を乱しても良いし、5年後までずっとぐちゃぐちゃでいたって良い。

「別れはじめの日」と、「別れおわりの日」さえ忘れなければ、絶対にちゃんとお別れできる日が来るからだ。

 

 

 

今の私が1月16日をおだやかに(でも少しだけざわつきながら)過ごせるのは、別れまでのカウントダウンが始まった日を何度かやり直せたからに違いない。

でも、こんな文章を職場でこそこそ書いてしまう辺り、まだまだ「ちゃんと」お別れできてないのかもしれない。