さんがつじゅうななにち
早見あかりさん、お誕生日おめでとうございます。
昨年12月に公開されたflumpool『とうとい』のMVのあかりちゃんがべらぼうに良い。
生きることを、あるいはそれを可能にする存在を「とうとい」と表現するこの曲のMVに、私にとって「とうとい」存在であるあかりちゃんが出ているというだけでも素晴らしいのだけれど、漫画家自身と彼女の描く漫画そのものが歌詞を通じて混ざりあっていく様が、どうにも心地良い。
MV内のあかりちゃんは時に鬼気迫る様子で原稿に臨んでいるが、本人は現在、自分の言葉を能動的に発する場を持っていない。※1
最後に定期的な発信の場を設けていたのは2015年4月から2016年3月まで更新されていたA-Studioアシスタント時代の番組内ブログAkari Studio | TBSブログまで遡る。
私はあかりちゃんの書く文章が好きだ。軽やかで、でも確かな実感があって、リズミカルで、何よりも読み手に対して誠実だと思う。「(誠実であるために)目を見て話しなさい」と言われることがあるが、あかりちゃんの文章は、読者の目を見ているように感じられる。だから境目を越えたリアルを感じさせられるのだろう。
らすと。 | Akari Studio | TBSブログ(A-Studioへの想いを綴ったブログ)
話をMVに戻したい。
作中では4つの話が描かれていることが分かる。#1は「君に何から伝えるべきだろう?」だ。
学生のもどかしい関係を描く彼女は、時折手を止めながらも、二人の関係を最後まで見守り描ききる。その時に流れてくる歌詞は、
同じ笑顔で返すことも
ろくにできない僕だけど
伝えたい言葉がある
笑ってくれてありがとう
明確なアクションは必要ない、誠実な言葉を届けるべきだと歌っている。
しかし一転、
ネガティブな感情が広がりを見せ始めるのが#2「ただ静かな鼓動を聞いて」だ。
漫画に登場する女性は、パートナーへの「好き」という感情を少しずつ積み重ねていく。並行して漫画家も自身がこれまで積み重ねてきた何かの存在に気づき始め、思案する姿が増える。結果、虚構と現実どちらの世界でも感情が破裂してしまう。
そんな彼女(たち)を救うように、歌詞とタイトルはリンクし、#3「君は君を好きでいてよ」と続く。そして、そう語りかけられた(あるいは自ら言い聞かせた)彼女の表情のなんたる美しさか!
そして改めて、#1への回答をするのだ。#4「生まれてきてくれてありがとう」と。そう考える理由は単純だ。
一仕事を終え、伸びをする彼女もまた「とうとい」
あかりちゃんが自ら率先して自己表現の場を設ける可能性は、今後も低いだろう。
それでも、彼女の「とうとさ」は揺るぎないし、それに対する私からの「生まれてきてくれてありがとう」も決して揺るがない。
改めて。
誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。
※1 早見あかり「なりすまし」のInstagram等にご注意下さい! by スタダ