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あれこれ

早見あかりさんのあれこれです。

3月17日

早見あかりさん、21歳の誕生日おめでとうございます!

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春は出会いと別れの季節とよく言います。
そんな季節の、特に“別れ”を強く意識させる3月に生まれたあかりちゃんを通じて、私は色々なものに“出会い”ました。

あかりちゃんがまず初めに出会わせてくれたのは「日本文学」でした。
表紙に写るうつくしい女性に惹かれて買った『不道徳教育講座』や『伊豆の踊り子』は、それまで海外のSF小説やミステリ小説ばかりを好んで読んでいた私に瑞々しい刺激を与えました。
その後の大学での学びでも日本文学に関わる分野を専攻したことを考えれば、正しく運命を変えた出会いだったと思います。

それとほぼ同時に出会わせてくれたのが「アイドル」でした。
自分と同年代の女の子が、手に入れて然るべき青春時代の様々な経験を犠牲にして、それでも尚輝く姿を見せている。そんな姿に何度も励まされました。

そして、私が長年続けてきたことを辞めるか、最低でも半年間は休まなければならないと悩んでいた頃、あかりちゃんはアイドルを辞めるという決断を下しました。
未来の為に今決断しなければならない。頭では何となく分かっていても、中々出来ることではないと思います。それでもあかりちゃんは決断し、何故そう決断するに至ったのかを言葉にしました。
そんな姿を見て私は、時間と熱意を注ぎ込んだことを辞める勇気をもらい、新たなことに挑戦する覚悟を決めることができました。


新たな道を歩み始めたあかりちゃんは、様々な作品に出演することになりました。
あかりちゃんが1つの作品に出会う度に、ファンである私もまた様々なものに出会える、そんな幸福な連鎖がここ数年途切れること無く続いているのは、あかりちゃんのお陰です。

例えば、初の朝ドラ出演となった『マッサン』
あかりちゃんがすみれになっていなかったら、マッサンとリタ(=エリー)の人生も2人の愛もおそらく知らずに生きていたでしょう。

映画『忘れないと誓ったぼくがいた』では、“忘れる(忘れられる)”という人間のシステムに対しての疑問を投げかけられたように思います。
私は、この春から毎年数百人と出会い、そして別れるという職業に就きます。そうした流れの中で私はその人々を忘れ、そして忘れられることになるでしょう。そうした事実を自分の中でどう消化するのか。
“忘れる”ことに対抗するには、記憶以外の形で自らにその人を刻み込んでいけばいいのかもしれない。何らかのスキルの向上でも良いし、思考(嗜好)の変化でも良い。とにかくその人との出会いが自分に少しでも変化をもたらしたのであれば、それが記憶の代わりにずっと寄り添うはずだ。
“忘れられる”ことに対抗するには、いっそ諦めるというのも1つの手段なのかもしれない。
そしてまた、出会い、覚えてもらえば良い。その繰返しの切れ目でどうしても“忘れられる”のならば、自分だけは“忘れる”ことのないように生きるしかない。
そんなことを考えさせられました。

また、昨年4月からアシスタントを務めている『A-Studio』であかりちゃんは、文字通り沢山の人と出会いました。
私も番組を通じてゲストの方を好きになったり、また、鶴瓶さんやゲストの方との会話を通じてあかりちゃんの新たな一面を発見したりと、毎週新たな出会いのある番組でした。


あかりちゃんはここ最近、将来について聞かれると「フワフワと生きたい」と答えています。「この仕事は結婚しても年齢を重ねても続けられるから出来る限り長く続けたい」と。

「応援する」という行為はしばしば(あえてカタカナで書きますが)メンドクサイ自問自答を引き起こします。「タダノエゴナンジャ……」「ソモソモナンノタメニ……」
しかし、応援したい相手が、「長く続けたい」と言葉にしてくれたことで、私の思いはすっきりと1つにまとまりました。だったら変に肩肘張って定義付けることもない。長く見守らせてもらおう、と。

これから様々な“出会い”と“別れ”を繰り返して「フワフワと生きる」あかりちゃん。21歳初めの出会いは、来月の舞台になるでしょうか。その舞台と出会い、別れ、今度は何に出会わせてくれるのか、楽しみです。


色々なものに出会わせてくれてありがとうございます。
今年もおめでとうと言わせてくれてありがとうございます。
本当に本当にお誕生日おめでとうございます。