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あれこれ

早見あかりさんのあれこれです。

H25.7/19-20のツイートに関するあれやこれや



というツイートをしました。
フォロワーの方で反応を示して下さる方もいらっしゃって、「応援したい気持ちに変わりはないが、少し、彼女の将来が不安になった」という旨のご意見をいただきました。

私個人としては、直近二回分はこれまでの放送よりも面白かった、と言えるほど笑ってしまいましたが、たまには小難しいことも考えてみようかなー、なんて気持ちで次のツイートをしました。

脱退宣言からラストライブまでの流れは、あまりにも衝撃的だったために、深く記憶に刻まれ、また、あまりの物語の美しさに、そのイメージを崩したくない、と思った人も多かったのではないかな、と考えました。

”ぎりぎり”と表現したのは、「戻ってきて、とは言われたくない」「(紅白でのアカリ)に感動したわけではない」と言った彼女の心からの強い言葉が、抱いていたイメージとは違う、本当の彼女に気づきつつある(気づいた)人も相当数いるだろうと推測したからです。

イメージの中での彼女に噛みつかれた、そう捉えた人は彼女から離れたでしょうし、そこに魅力を感じた人はより彼女を応援したいと思ったでしょう。(イメージ通りと思った人も居るのは分かっていますが)

直近二回のわかんなーいはそうした彼女の最も鋭く、脆い部分を晒した回です。
その姿に幻滅する気持ちが理解出来ないわけではありません。

かつての仲間は(現在も良好な関係であることは承知の上で、あえてかつての、と言わせてもらいます)物凄い速さで進んでいきます。様々な困難を乗り越え、大きな夢を叶え、更に大きな夢へと速度を上げていきます。

物語の続きを望む人たちは、ただひたすらに、感動の瞬間を、夢の達成を期待し、応援します。
そこに悪意はありません。純粋な心からの声援を送ります。
故に、その速さが特別なものであることには気づきづらく、気づいたとしてもすぐに忘れて声援を送ることに没頭してしまいます。

彼女はその速さに気づいています。自らの力も知っています。焦りもあるでしょう。その焦りが無理、無茶を引き起こします。

その結果が、わかんなーいでの発言だったのではないでしょうか。(ホームでの発言であるあたりが彼女の気遣いなのでしょう)

彼女がどんな選択をしようと、待つことが、そして、その選択に声援を送ることが、一ファンである私の出来る、最低限で、最大限の応援である、と私は考えます。

長々と書いてきましたが、要するにどんなあかりちゃんも応援してますよ、この一言が言いたかった。

彼女を応援する方が増えれば幸いです。